今日は研究授業参観に行きました。文科省から来られた講師の先生が「書くこと」の重要性と手法について話をされていました。
講義の中で学んだこと
「こうやればうまくいきますよ」という話の中で、自分自身の「3Stepエッセイ」と「3Stepモノログ」を並行して行っていくことの意義を感じることができました。Prepared なアウトプットと、Impromptuなアウトプットは並行して行っていくべきなのだということが証明されたような気がします。
「書くこと」の指導の難しさ
講師の方からは「書くこと」をどのように授業内の活動として取り入れるかということについての説明がありました。ただ、授業時間外の指導方法についての提案がなかったのが残念でした。なぜなら、「書くこと」には教師のチェックが不可欠だと思うからです。生徒の間違いを何度も訂正してやりながら、よりよいものを目指していきます。さらには、1文の英作文でなく、まとまりのある文章をチェックしていかなければなりません。ヤラセっぱなしを防ぐための、その膨大な手間と時間は、授業時間内には完結しません。勤務時間のことを言い出したら、「書くこと」の指導は成立しないと、確信しています。英語教育改革と、働き方改革の二重の課題を現場の教員に求めるのであれば、時代にふさわしい現実的な実践具体例を提案していただきたい。今日はお話を聞きながら、そのように感じました。
考えていくべき疑問
- 「書くこと」を勤務時間内に終わらせられる方法はあるのか?それによってどれだけの力をつけることができるのか?
- 現在の自分自身の実践を、だれにとっても可能な実践例にできるのか?(現状だと、時間に余裕のある特定の人にしか不可能)
- 手法の勉強も必要。でも、結局は熱意なのではないか?教材研究、プリントづくりに時間をかけるのはどの先生もやる。それは時間短縮も可能。生徒との関わることは時間短縮できないのではないか?自分は、どれだけ生徒との関わりに時間をかけてあげられているか?