English Classroom

中学3年間の英語の授業アイディア、英語教育についての考え・悩みを日々記録しています。

同じ思考に陥るから、育つ生徒も同じ

 2学期が始まりました。コロナで休校が続き、かなりのペースで学習を進めることになって、生徒たちにも負担がかかった1学期。その指導の成果、学習事項の定着がどこまでなされているのかを、課題テストで見ることができました。やはり、かつて中1だった僕と同じく、be動詞と一般動詞が混在し始めるこの時期に、つまづきの第一波がやってきました。テストの出来が悪いのを、生徒のせいにしていては始まりません。

 これまでのことを振り返ると、僕自身がここで英語がわからなくなったにもかかわらず、この段階の生徒たちをきちんと救えていませんでした。この最初のつまずきに対して、どれだけのサポートができるのか考えないといけません。かといって、「こうなったらこうする!」みたいなものが出来上がりつつあり、気づいたら同じパターンに陥っていることがよくあります。

 例えば、部活の月間予定を立てたあとに、前年度のものを見てみると、意識はしていないのに、ほぼ同じ練習日程、練習試合計画になっています。これ、いつも自分で驚いてしまうのですが、きっと英語の指導に関しても通じるのだと思います。無意識のうちに、ルーティーン化してしまって「悪しき指導」が繰り返されることで、生徒の成長も例年どおり。あー、凝り固まるのはイヤだ。いつまでも柔軟に変化しつづけたい。

ベテランの数学のY先生から学ぶ

 勤務校のベテランの数学のY先生は、授業終わりに僕のクラスの生徒について教えてくれます。その内容の中心は、「スローラーナーたちの授業での反応」が中心です。彼らの反応に一喜一憂されながら、日々の授業を楽しんでおられます。プリントやテスト問題は、いつも丁寧に冊子に製本されており、だれでも取り組みやすいように配慮されています。また、昼休みや放課後には、補習をしてあげます。普通、補習といえば、受けたくない生徒で逃げ帰るのではないか?と想像されますが、全く違います。教室は、やる気に満ちた生徒で溢れています。彼らは、「分かる・できる」を目指して、この補習が開催されるのを期待しているとさえ感じられます。そして、彼らに共通しているのは、Y先生のことが大好きだということです。Y先生の、彼らへの愛情・情熱は確かに伝わっています。

 僕がY先生のように、つまずいている生徒たちのために何かできたでしょうか。僕のやっていることなど、足元にも及びません。正直、恥ずかしくなるレベルです。さらには、Y先生はベテランにもかかわらず、新たな方法を試してみるのが好きです。この柔軟性もすごい。いつかは、Y先生のようになりたい。

新たな方法を試す

 文法規則が理解・定着していないことが目立ちました。英文を疑問文、否定文、下線部を尋ねる疑問文にするなどの、基本的なパターン問題です。一般動詞とbe動詞が混在して、正しい文が作れていませんでした。これまでは、間違った文を直させながら「文法のルール」を話し合わせたりして確認してました。むしろ、「同じパターンの文法問題を解く」ということばっかりやれば、その形式の問題は解けるようになるはずです。でもそんなやり方は何度もやってきました。同じ指導していては、これまでどおりです。そこで、「同じパターンの文法問題を解く」ということの前に、「言語活動」を通した指導ができないかを考えてやってみました。

 What is this? / I don't play 〜. / Do you like 〜? / What do you have?などの文が、やりとりの中で出てくるように、まずは「お絵かきクイズ」で、ペアの一方にバイオリンの絵を描かせ、何が描いてあるか知りたいパートナーにできるだけたくさんの質問をさせながら、答えを推測させました。(この方法は大失敗でしたが…笑)

 その後、「楽器」をテーマにやりとりさせました。振り返りの段階で、彼らの発話をたくさん板書しました。黒板を見ながら、例文を比較しつつ、文法規則に気づけるようにしました。

 その後、「同じパターンの問題を解く」ことに挑戦させると、テストではできなかった生徒が、解けるようになっていました。ただ、全員ではないので、そこをどうするかを考えなければいけません。また、今回のテーマの与え方や、やりとりの目的・場面設定などもなく不自然で、言語活動と呼ぶにふさわしくないものになってしまい、改善の余地しかありません。心の中では「やっちゃった…。」と焦りながら授業を進めました(涙)

 しかし、「言語活動」を通しての指導法に、とりあえず新たに挑戦できたことだけは良かったと思います。

(余談ですが、来年からは知識技能をみるために、いわゆる「伝統的な文法問題」はふさわしくないと考えられると、テストづくりは大変になるな〜と今から焦っております…)

丁寧にハシゴをかける

 「夏休み明けの課題テストには、曜日や数字の綴りの問題出すよ?」と言って予告していました。にもかかわらず、曜日や数字の綴りがなかなか覚えられない生徒たち。テストでできてないんだから、毎日とにかくノートに書かせて覚えろー!というふうにやっちゃえば、こちらは楽です。ここで生徒のために考えたい。なぜ覚えるのが難しいのか?綴りが書けた生徒との違いは?

 答案を見ながら分析してみました。「とにかく覚える綴り」と「フォニックスのルールから導ける綴り」を、自分自身で整理・分類できるかどうかの差ではないかと考えます。自分の中でルールを発見できなければ、全ての語は「とにかく覚える綴り」に分類されるわけで、覚える作業は苦しいに決まっています。

 また、生徒たちに聞いてみました。すると、「予告されていたのに、忘れてました〜😋」みたいなノンキものもいます。なぜ、彼らの意欲が高まらなかったのか?それはきっと、前述したことと重なるのではないかと思います。「とにかく覚える綴り」の膨大な量に圧倒され、「どこから手をつけたらいいのかわからない」「いつまでたっても覚えられない」「苦しいことはやりたくない」など、とにかく逃げる・忘れるしかなかったのかもしれません。

 そんな彼らが、「これならやれるかも?」と思えるような手立てをしてあげていたかというと、出来ていませんでした。とにかく覚えろ!で覚えられる能力の高い生徒ばかりではないのに、結局はそんな指導にしかなっていないということです。整理・分類できない生徒たちには、きちんとハシゴをかけてやらなければ、前に進めません。生徒それぞれの、認知能力(?)の差の部分を埋めてやる手立てとして、次のようなプリントをつくってみました。

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このプリントで練習していると、ある生徒が「そういうことね!」とつぶやいてくれました。僕のやり方を変えると、生徒の反応も変わるものですね。

まとめ

 僕の問題点。それは、授業の流れを計画して生徒に提示しているだけで、それぞれのレベルの生徒が、もう1段階上のレベルに到達できるための手立てや支援をできていないということです。これは、これから常に意識していかなければならないことだと思っています。やらせるだけなら、簡単。出来るようにさせてなんぼ。僕は指導者として全然ダメです。

 苦しんでいる生徒たちに、「これならやれるかも?やってみよう!」と感じてもらえるように、今後も丁寧に愛情をもって手を差し伸べながら、見守っていきたいと思います。いつかはY先生のようになれるように、頑張るぞー!