今年の4月、新学期が始まる前に自分自身の授業を見つめ直す出来事がありました。3年生の最終目標としていたディベートの指導方法について教えていただこうと、ディベート大会に毎回出場され熱心に取り組んでおられる県内の高校の先生にお話を伺いに行きました。
井の中の蛙のわたし
先生はわざわざディベート指導の資料を準備してくださり、丁寧に教えてくださいました。また、僕の話も聞いてくださりながら、思いを引き出してくださっていたように感じました。その中で、ここまでの2年間、どのように取り組んできたのかを説明する僕の話を、辛抱強く聞いてくださっていました。僕自身、ここまでやってきたことに自信があり、このまま続けていけば上手くいくはずという過信があったのです。きっと言いたいことがたくさんあったはずなのに、否定することなく受け止めて下さいました。本当にお恥ずかしい話です。。。
なぜディベートにこだわるのか?
先生に話を聞いていただく中で、だんだんとディベートにこだわっている理由が分からなくなってきました。自分は何のためにディベートを目標にしているのか。そもそも、ディベートは手段であって、目標ではない。自分は何がしたかったのだろう。
そのとき先生が、初めて口を開きました。「ディベートにこだわる必要はないと思います。あなたのやりたいことは、生徒たちに彼らなりの意見をもたせることなんですね。」
ディベートに必要な下地
そこから、先生はたくさんのことをお話ししてくださいました。まずはディベートを授業でやっていくことについて。
- そもそも高校生でも、自分自身の意見はもてていない。
- 社会のことについて無知である。
- 社会に目を向けるためにも、定期的に新聞の切り抜きを授業で活用する。
- 英語でのディベートの前に、日本語でのディベートの習慣が必要。
- 英語でのディベートになると、深いスキルや内容まで踏み込めない。
- ディベートは手段であって、型にはめてもおもしろくない。
- 生徒自身が良い質問、本質に迫る質問をできるかがカギ。
僕の授業ではダメだと気づいた瞬間
その後、最後の「生徒が良い質問、本質に迫る質問をできるために」というポイント、「生徒が意見をもつこと」についての話へ。その中で、先生から次の言葉をかけられました。「先生は、生徒が問いをもてるような授業をしていますか?」と。 僕はこの質問にこそ、先生が本当に伝えたいメッセージが含まれていると感じました。
- 僕の授業は、スキルを身につけるためのトレーニング主体である。
- スキルトレーニングだけでは意見をもたせる上で限界がある。
- インプットを鵜呑みにして素通りで終わり、意見をもつきっかけをつくれていない。
- 疑問文をつくるスキルだけでなく、内容に関しての問いが生徒の中に生まれる授業が必要。
- 問いがあるからこそ、意見が生まれる。
- 内容で迫る授業づくりから、これまで逃げてきた自分。
- 教科書では深い読みができないと雑に扱っていた自分。教科書を活用した内容で迫る授業をつくりたい。
- 僕自信の教科書の読みの視点の乏しさ、発想力のなさへの気づき。
まとめ
今思えば、僕は「教科書の内容に踏み込んで内容で迫る」ということから逃げてきました。それを避けて、英語力を高めるために、トレーニングで指導していくことに重点を置いていました。実際、新学期から授業をし始めた途端に、トレーニングで力を高める限界を強く感じることとなりました。アウトプットが深まらないのは、どこに問題があるのかということを考えた時に、やはりインプットの量と質が重要であると気づきました。この出会いがなければ、間違いなくこの気づきはありませんでした。
「問いをもつ」ということについて考え続けています。そして、「先生は、生徒が問いをもてるような授業をしていますか?」という問いを、今なお、自分自身に問いかけ続けています。
おすすめ
「問いをもつ」ことについての参考文献
たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」
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